仕事と介護の両立

荒木由美子さんインタビュー

介護する人への情報提供やフォローがもっと必要 タレント 荒木 由美子さん

芸能界を引退後 20年にわたり義母を介護

「今回のDVD『介護の時代』の台本をいただいたときに、まず、こんなDVDが、私が介護をしていたころにあったら、と思いましたね」というタレントの荒木由美子さん。17歳で歌手としてデビューし、23歳の時13歳年上の湯原昌幸さんと結婚して芸能界を引退。その後20年にわたり義母を介護し、2004年に子育てと介護を終えて芸能界に復帰した。現在は介護に関する執筆や講演などで多忙な毎日を送る。

「2000年に介護サービスがスタートし、『介護』が、ことあるごとにマスコミなどで注目されてきました。でも実態は私が義母の介護を始めた当時とあまり変わっていないように感じます」と荒木さん。制度や施設は充実してきているが、介護する側へのいざという時の情報提供は決して十分とはいえないという。

介護は、ほとんどの場合突然のように訪れる。「日ごろからいざというときのために資料などを取り寄せて勉強しておけばいい」といわれればそれまでだが、実際は難しい。その時に訪れる役所や地域包括支援センターで、「どうしたい」「何を知りたい」と言われてもその答えに困ってしまう人がほとんど。

荒木さんは言う。「何がわからないではなく、まず何をしたらいいのかがわからないんです」。役所の窓口に相談に行ける人はまだいい。どこに行ったらいいのかもわからず、特に認知症などの場合、そのまま在宅介護に突入してしまうケースも少なくない。介護サービスを受けるために、介護認定の申請やケアマネジャーの決定などが必要であることも、その場で初めて知ることも多い。

そんな介護に突入していく人々の不安を少しでも解決できるという今回のDVD、介護サービスを利用するための流れに加え、在宅・通所・施設など、それぞれのケースに合わせた介護の形が紹介されている。

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気軽に介護経験者に相談できる体制作りを

「公の場ではなく、地域にもっと気軽に相談できる体制作りが必要。講演などでもいつも言うのですが、たとえば乳がん検診推進のピンクリボンや『おなかに赤ちゃんがいます』のワッペンのような、介護経験者であることが一目でわかるようなものを作るとか。聞いてみたい、話してみたいけれど、公の場ではなかなか聞きづらいことも多いですね」と荒木さん。

先の見えない介護では精神的にも不安だが、経済的な負担も重要となる。介護と子育てが並行する場合も多く、経済的な不安は大きいはずだ。介護の場合、サービスや施設利用の基本料金だけでなく、目に見えない出費も少なくない。

そして、実際に介護を経験した人の話を聞けると、訪問サービスを受けながらの在宅介護にするか、施設へ通所しながらの在宅介護にするか、施設に入所させるかなど、結論も出しやすいのではないかと荒木さんは語る。

そういう意味からも「介護経験者の一人としては、やっとできて、良かった!というのが素直な感想です。
介護する人の相談相手の1人として、このDVDを活用してもらえればうれしいですね」。

介護に疲れ、義母を憎らしく思う自分が、嫌で仕方がなかった時期も

荒木さんが経験した認知症の義母の介護はあまりにも有名だ。在宅介護を希望していたものの、家族だけでの在宅介護には限界があることがわかり、入所に踏み切った。介護が始まって13年が経ったときのことだ。

その後、糖尿病などの持病があった義母は病院と、複数の老人保健施設を行き来し、最後の7年弱を送ったという。
施設入所後も、車で片道40~50分のその道程を、特別なことがない限りほぼ毎日通ったという荒木さん。施設でのイベントや外出にも積極的に参加した。

感情の起伏が激しく攻撃的だった義母だが、80歳を過ぎたころからは穏やかになっていく。そして、息子の湯原さんの記憶が薄らいできてからも、荒木さんのことだけはしっかりと認識し、「私が行くことだけが義母の楽しみ」だった。

荒木さん自身も「最後の数年は本当に心穏やかに、心から義母と笑い合えました」。まるで絵に描いたような模範的な介護ともいえる。しかし現実は言葉どおりではすまされない。そんな介護を荒木さんはどんな風に乗り切ったのだろうか。

「憎らしくて、お尻を子どものようにたたきたくなる時期もありました。介護に疲れ、義母を憎らしく思う自分が嫌で仕方なかった。」

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芸能界を引退したのを機に、業界の関係者とは一線を引いた荒木さん。ママ友たちの中にも舅や姑と同居をしている人はおらず、相談相手は夫の湯原さんだけ。しかし、実母の認知症を素直に認められなかった湯原さん、実際に、荒木さんが義母の変化に気づき相談した時も「年のせいで物忘れしているだけ」とかわされてしまったという。
母1人、子1人、湯原さんにとってはいつまでも気丈な母であって欲しかったのかもしれない。

夫の優しさと子育てが、気持ちを楽にしてくれた

「どうにもならないことを言っても仕方がない。つまらないことで夫婦関係をぎくしゃくさせたくない」。そう気づいた荒木さんは、一切の義母に対する愚痴を湯原さんに言わなくなった。その代わりに荒木さんは湯原さんにある要求をする。それは「お義母さんのことは私に任せて。その代わりに話を聞いて、私の心のケアをしてほしい」。

時間を作っては話を聞いてくれて、肩がこったといえばマッサージしてくれる。お茶を飲みに行きたいとといえば一緒に出かけてくれる。毎日のように「ありがとな」「本当に悪いな」と言葉をかけてくれる。そんな湯原さんの精いっぱいの優しさが荒木さんを前向きな気持ちにさせてくれたのだ。

今でも当時の話をすると、「お袋はちょっとボケてたよね」という湯原さん。「えっー、ちょっとだけ(笑)」という荒木さん。「あんまりいじめちゃ、かわいそうなんですけど」と、ちゃめっけたっぷりに笑うその笑顔が印象的だ。

そんな荒木さんが、介護のもうひとつの支えになったというのが子育て。意外に思われるかもしれないが、介護の疲れを子育てで発散できたのだという。「子どもの前でメソメソなんてしていられない。そう思うと自然に強くなれるんです。本当はそこまでの余裕なんてなかったかもしれませんが、子育てを目いっぱい楽しもうとしていました」。

子どもを思いっきり抱きしめるだけでも、自分にやさしさが残っていることを実感できたという荒木さん。物理的には決して楽ではなかったが、子育ては荒木さんにとって確かな「心の息抜き」であった。

今日1日できることをすればそれが明日につながる

介護にはいろいろな形がある、しかし共通していることは先が見えないこと。
そんな毎日を送る人たちに、荒木さんが贈る言葉がある。

「今日できることだけを考える。明日のことは考えない。今日1日できる介護をすれば、それが明日につながる」  
笑顔で介護できるまでには、たくさんの闘いがあって、これから先のことばかり気になるはず。しかし、来年の心配をするより、今日1日笑顔で向き合うことだけを考えて、今日1日また1日とつないでいけばそれでいい。
「今日できる介護をやっていればそれで充分です」という荒木さん。

ただし、「どんなに周りの励ましやアドバイス、助けがあっても本人の覚悟がなければ、どんなことも先に進めません」。
「苦しいときには『苦しい』と言い、頑張っていると言ってもらいたければ『私、頑張ってるよね』と言って、家族や友人にほめてもらえばいいんです。泣きたいときには思いっきり泣く。そして自分の気持ちが抜けると前に進めるんです」

荒木さんは自身の経験を通して、課題と感じていることがある。それは介護している人たちのフォロー。「要介護者を救ってあげる場所は確実に増えてきたと思います。でも、介護する人たちを救ってあげる場所や人、そして言葉があまりにも少なすぎる。

介護していることを、誰かが見てくれて、認めてくれて、そこに『頑張り過ぎなくていいよ』という一言をかけてもらったら、泣きながらでもまたがんばる勇気が出てくると思うんです」今日できることだけを積み重ねて、2003年1月、荒木さんの介護は幕を閉じた。

そんな荒木さんに、認知症だった義母がこんな言葉を残してくれた。「本当にありがとう。これから由美ちゃんに悪いことはひとつもないから」。その言葉は、今も荒木さんのお守りだ。

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